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Talks Back

レビューで指摘を受けると、たいてい素直に受け入れる方だ。明らかに間違っていることを「いや、これで合っています」と押し通せるタフさが、わたしにはない。

性格だと思っていたが、最近は職業病なのかもしれないと感じる。

四半世紀、コードを書いて生きてきた。コードは嘘をつかない。書いた本人の浅さを、まっすぐ突き返してくる。

バグ。本番障害。レビュー指摘。ユーザーからのクレーム。想定もしなかった経路で踏まれるエッジケース。「動くと思いました」では済まない実装。半年前の自分が書いたコードを読んで、何を考えていたのか思い出せなくなる感覚。

そういうことを毎週のように突きつけられてきた。コードは、書いたときの自分の知性をスナップショットにする。半年後の自分から見ると、たいてい恥ずかしい。

そうやって過ごしていれば、外部からの指摘に対する皮膚感覚は変わる。「自分が正しい」を強く保つことが、たぶん割に合わない。間違いはコードがすぐに返してくる。だったら早めに認めたほうが楽だ。

この1年、AIに書いてもらうコードが増えた。設計の素案も投げる。運用の判断も相談する。

これから業界に入ってくる人たちは、「自分が書いたコードが自分を裏切る」体験を、わたしの世代ほどは積まないのかもしれない。AIが書いたものを、AIがレビューし、AIが本番に出し、AIが障害対応の一次切り分けまでやる。間違いはまだ存在する。プロンプトの曖昧さや設計判断の浅さで殴られる場面は、むしろ増えるかもしれない。だがそれは、自分の浅さの返り討ちには見えない。

エンジニアの性格傾向自体が、これから変わっていくのかもしれない。コードに殴られる頻度が減れば、強気でいられる人は増えるはずだ。それを他責思考と呼ぶのか、健全な自尊心と呼ぶのか、わたしには判断がつかない。「AIがそう書いたので」「AIがそう設計したので」という言い回しが、議論の入口に置かれる場面はもう何度も見ている。

ただ、本番障害の事後報告書に「AIがそう書いたので」と書ける欄はない。少なくとも、いまのところは。コードはAIが書いても、運用責任を負っているのは人間の名前のままだ。

そこだけは、まだ変わっていない。いつまでなのかは、わからない。