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Full Stack Disease

自称フルスタックエンジニアという若者が増えてきた。

バックエンドもフロントエンドも書ける。React Nativeでアプリも作れる。いまならAIをぶん回してSwiftもKotlinもいけるのかもしれない。書けること自体はすごいと思う。でも「書ける」と「設計できる」の間には深い溝がある。

システムにはバランスがある。プロダクトの文脈に応じた意図的なトレードオフがある。たとえば大規模だが検索を主体としないサービスが、遅延反映を良しとする代わりにサーバーコストを1/10にするような設計だ。これは「書ける」からは出てこない。ビジネスを理解して、何を捨てるか決められる人間から出てくる。

技術の深度は、マクロもミクロも、ビジネス文脈からのトレードオフの精度で決まる。どの技術を選ぶかではなく、何を選ばないかだ。古いエンジニアは本物のフルスタックという化け物たちを見てきた。だからこその反発があるのだろう。

「書ける」「作れる」がAIによって汎化されつつあるいま、広く浅くの価値は急速に下がっている。誰でもフルスタックになれる時代に、ただ書けることは差別化にならない。

捨てられない人間関係やしがらみに絡め取られているわたしに、言われたくないだろうが。