No Encore
タレント事業を始めたのは、人の背中に賭けたかったからだ。
アイドルはステージに立っていた。照明を浴びて、生身で、汗をかいて。客はその場にいる。同じ空気を吸っていた。1対nの関係だった。配信がそれをn²に変えた。演者と視聴者だけでなく、視聴者同士が繋がった。VTuberが現れて、生身すら要らなくなった。モーションキャプチャの向こうに人間はいるが、見えるのはアバターだけだ。
かくして、VTuber事務所はとんでもない収益を叩き出す。
そこでわたしが引っかかるのは、投げ銭のプラットフォーム手数料だ。巨大なインフラを支えているのはわかる。だが3割持っていかれる。演者の取り分はさらにそこから事務所と折半になる。胴元のいるビジネスには気をつけろ、と言われて育った。VTuber事務所がYouTubeという砂上の楼閣の上でビジネスをしている自覚は、どれだけあるだろう。規約が変われば収益構造ごと吹き飛ぶ。
そしてAITuberが来た。
まだ試験的だが、違和感も含めて受け入れられつつあるように見える。LLMが言葉を考え、TTSが声に変え、音声に合わせて口が動き、感情に合わせて体が動く。既存技術の組み合わせだ。体の動きだけがまだ追いついていないが、時間の問題だろう。
自律的に配信する。24時間。失言はない——暴走しなければ。スキャンダルもない。体調不良で休むこともない。報酬もいらない。運営にとっては理想的な存在だ。
YouTubeの上にLLMの依存を重ねて。砂上の楼閣が二階建てになる。
商業的には成功するだろう。人は物語に金を払う。語り手が実在しなくても。
それでも、わたしは難しいと思っている。
商業的な話ではない。その中身が人間かどうか。そこには超えられない壁がある。
傷つき、立ち上がれない人たちがいる。その人たちがもう一度立ち上がるとき、そこにあるのは人間の背中だ。同じように傷つき、同じように倒れ、それでも立ち上がった誰かの姿。あの人にできたなら、わたしにもできるかもしれない。
AIは完璧すぎる。傷つかない。倒れない。だから「それでも立ち上がった」という物語が成立しない。完璧な存在に励まされても、「あなたとわたしは違う」と思うだけだ。
不完全であること。壊れうること。それでも続けること。人間の背中が持つ説得力は、そこにしかない。
AITuberの時代は来る。来ていい。ただ、誰かのプラットフォームの上でビジネスをする不快感は拭えない。しかしエンジニアとしての鼓動は上がる。
TTSは誰でも作れる時代だ。だが理想の声で安定したものを作るには、良質なサンプリングデータがいる。タレントを抱えているわたしなら、声の主に相談するところから始められる。
人間の背中を信じてタレント事業をやっている自分と、その未来を自らの技術で証明したい自分が、いませめぎ合っている。