Five Hundred
中原中也が好きな後輩がいた。
過去形だ。しばらく前に亡くなった。
自信満々で怖いもの知らずで、それでいて臆病で繊細な人間だった。矛盾しているようだが、そうとしか言いようがない。中也を好きになる人間は、だいたいそういう矛盾を抱えている気がする。
詩集を出したと聞いた。自費出版で、500冊だけ刷ったという。受け取れなかった。就職氷河期のまっただ中だった。互いに生き残るのに必死だった。いや、嘘をついた。複雑な人間関係の中で疎遠になっていた。詩集を受け取れるだけの関係性は残っていなかった。
Amazonでたまたま見つけた。
世界中のサーバーを束ねて兆単位の商取引を捌く巨大なインフラが、500冊しか刷られなかった詩集の1冊を、中古で静かに差し出していた。本屋の棚なら一生出会えなかっただろう。クラウドの片隅に、彼の痕跡が残っていた。
巡り巡って、わたしの手元に届いた。
中也は30歳で死んだ。生前に出した詩集は『山羊の歌』と『在りし日の歌』の2冊だけだ。350篇以上の詩を残したが、世に出たのはそのうちのわずかだった。残りはノートに書き殴られたまま、友人たちの手で死後にまとめられた。書くことと届くことの間には、いつも距離がある。
命日にページをめくっている。一節が目に留まった。
「死んだあとには 遺された愚痴のような言葉を見て ふんと鼻で笑わない人が 一人でもいてくれる それで充分しあわせとなる」
笑わずに読んでいる。