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Nobility Fades

最初に触ったUNIXはSunOSだった。Solaris 7だったと思う。

ソースコードが公開されない、純血の商用UNIX。BSDにもLinuxにもない、高貴さがあった。カーネルの挙動ひとつとっても「設計されている」という感触があって、当時のわたしにはそれが眩しかった。

20代の頃、中古のEnterprise 4500をオークションで落とした。届いた筐体は冷蔵庫みたいにでかくて、電源を入れて遊んでいたら翌月の電気代の請求がひどいことになった。高貴さには相応の対価がある。身をもって学んだ。

気づけばLinuxが全盛になった。

Solarisが切り開いた領域は、ひとつずつ別の手で再発明されていった。ZFSは生き残った。DTraceが拓いた動的トレーシングの領域には、eBPFが別のルートから辿り着いた。Zonesが示した隔離の思想は、コンテナという別の形で実現された。でもSolaris自体は、もう動いている現場を見ない。

VMwareは買収され、Citrixは市場から静かに消えた。異常な技術力を持った会社が、技術以外の理由で没落していくのを見た。技術的に優れていることと、生き残ることは別の話だった。JailからZonesへ、仮想化からコンテナへ。時代は容赦なく次へ進む。Oracleですら、もうLinuxで動かすのが当たり前になった。

そして今、わたしはどうやって動いているのかわからないAIと会話しながらコードを書いている。そこに貴賤はない。誰でも使える。ソースコードすら意味をなさない。

Solarisのカーネルソースを読みたくて読めなかった時代から、読む必要すらない時代へ。あの頃Enterprise 4500の電源を入れていた自分に教えてやりたいが、たぶん信じないだろう。