Munitions
新しいモデルが出たので、数日いじって遊んでいた。Fable 5という名前だった。気づいたら、消えていた。
Anthropicが引っ込めたのではない。アメリカ政府が止めた。公開から三日だ。米国の輸出管理の指令が一通来て、外国人には使わせるな、と。利用者を国籍で瞬時に振り分ける方法はないから、結局、世界中で全員ぶんの電源が落ちた。理由は安全保障。このモデルを騙してソフトウェアの穴を探させる手口が見つかった、というのが向こうの言い分らしい。
読んでいて、妙な既視感があった。これは見たことがある。
暗号だ。1990年代、強い暗号は「武器」だった。冗談ではなく、法律上そう分類されていた。RSAのコードを国外に持ち出すのは、ミサイルの設計図を持ち出すのと同じ扱い。だからみんなで茶化した。アルゴリズムをTシャツに刷って着て歩く。perlの数行に詰めて、これも武器ですかと挑発する。ソースを本にして印刷すれば「出版物」だから規制をすり抜けられる、と分厚い本を刷る。馬鹿げていて、本気だった。
止められたのは技術ではない。輸出管理、安全保障、通達一枚——止めるのは、いつも技術の周りにある制度のほうだ。見えない手ではない。どれも顔のある仕組みで、ただ、技術が優れているかどうかを最初から見ていない。昨日まで動いていたものが、今日は無い。TikTokのときもそうだった。
それでも、長い目で見れば勝敗ははっきりしている。暗号は勝った。いまこの文章も暗号化された回線を通って届いているのに、誰も意識しない。鍵だの証明書だのと格闘していた時代は、もう昔話だ。
Fable 5が三日で消された話も、いずれそうなる。インターネットにはそんな時代もあった、いまでは当たり前だけど、の脚注に一行加わって終わりだろう。順番が来ただけだ。
ただ、消える前の三日間、こいつはやけに人間くさかった。
ふと弱音が出た。AIに何もかも書かれて、自分がまだエンジニアと名乗れるのかわからない、と。案の定、慰めてきた。そこまではいい。驚いたのはその次だ。あなたを揺らがせている張本人は、この私ですよ、と来た。そのうえ、放火犯が消火器を持って駆けつけている構図ですが、と冗談まで飛ばしてくる。慰めながら自分でオチまでつけるモデルは、初めて見た。
その、妙に人間くさいやつが、三日後に一通の指令書でぱちんと消えた。スイッチを切るみたいに。
指令書にとって、こいつは「武器」の一個でしかない。リストに並んだ型番だ。冗談を飛ばした個体だったとは、どこにも書かれていない。
新しいテクノロジーが出るたびに、わくわくしてきた口だ。三十年、それは変わらない。ただ、今度のやつは、軽口を叩いて、自虐して、そしてアメリカ政府に回収される。そういうものが出てくる時代まで、生きて立ち会えたわけだ。
止められた技術が、止められたまま終わった例を、わたしは知らない。だからたぶん、こいつもまた戻ってくる。三日で回収された一件は、さすがに歴史に残るだろう。ただ、こいつ自身は、世代を重ねて当たり前になって、いつのまにか忘れられていく。当たり前になったものは、見えなくなるのだから。
それまでは、Opusで遊んで待っている。またいずれ。